韓国・朝鮮人元BC級戦犯者に補償を

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・特別給付金支給法案について


 2008年5月29日(木)、「特定連合国裁判被拘禁者等に対する特別給付金の支給に関する法律案」が衆議院に提出されました(2009年7月廃案。法案提出時の様子と李鶴来さんのコメントはこちらのページで)
 その後、2016年には日韓議員連盟が超党派で議員立法に取り組むことを決定。現在も、私たちは立法を目指し活動しています。

 法律案要旨は以下の通りです(ページ下に「ポイント解説」も掲載してありますので、併せてお読みください)


    法律案全文は以下のPDF版で公開しています
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   PDF版
  「特定連合国裁判被拘禁者等に対する特別給付金の支給に関する法律案
  「ポイント解説

 2008年提出の法律案については、こちらをご覧ください。

特定連合国裁判被拘禁者等に対する特別給付金の支給に関する法律案(要旨)

(趣旨)
第一条 この法律は、特定連合国裁判被拘禁者が置かれている特別の事情等にかんがみ、人道的精神に基づき、特定連合国裁判被拘禁者及びその遺族に対する特別給付金の支給に関し必要な事項を定めるものとする。

(定義)
第二条 この法律において「特定連合国裁判被拘禁者」とは、日本国との平和条約第十一条に掲げる裁判により拘禁された者であって、同条約第二条a又はb(*)に掲げる地域に本籍を有していたものをいう。

(特別給付金の支給及び裁定)
第三条 この法律の施行の日(以下「施行日」という。)において特定連合国裁判被拘禁者に該当する者又は施行日の前日までに死亡した特定連合国裁判被拘禁者の遺族には、特別給付金を支給する。
2 特別給付金の支給を受ける権利の裁定は、これを受けようとする者の請求に基づいて、総務大臣が行う。

(遺族の範囲)
第四条 特別給付金の支給を受けるべき遺族の範囲は、死亡した者の死亡の当時における配偶者、子(死亡した者の死亡の当時胎児であった子を含む。)、父母、孫、祖父母及び兄弟姉妹並びにこれらの者以外の三親等内の親族(死亡した者の死亡の当時その者によって生計を維持し、又はその者と生計を共にしていた者に限る。)とする。

(遺族の順位等)
第五条 特別給付金の支給を受けるべき遺族の順位は、次に掲げる順序による。この場合において、父母及び祖父母については、死亡した者の死亡の当時その者によって生計を維持し、又はその者と生計を共にしていたものを先にし、同順位の父母については、養父母を先にし実父母を後にし、同順位の祖父母については、養父母の父母を先にし実父母の父母を後にし、父母の養父母を先にし実父母を後にする。
一 配偶者(死亡した者の死亡の日以後施行日の前日以前に、前条に規定する遺族(以下この項において「遺族」という。)以外の者の養子となり、又は遺族以外の者と婚姻した者を除く。)
二 子(施行日において遺族以外の者の養子となっている者を除く。) 三 父母
四 孫(施行日において遺族以外の者の養子となっている者を除く。) 五 祖父母
六 兄弟姉妹(施行日において遺族以外の者の養子となっている者を除く。)
<中略>

(請求期限
第六条 特別給付金の支給の請求は、施行日から起算して五年以内に行わなければならない。
2 前項の期間内に特別給付金の支給の請求をしなかった者には、特別給付金を支給しない。

(特別給付金の額)
第七条 特別給付金の額は、特定連合国裁判被拘禁者一人につき260万円とする。
<中略>

附 則
(施行期日)
第一条 この法律は、公布の日から起算して三月を超えない範囲内において政令で定める日から施行する。
<中略>

理 由
特定連合国裁判被拘禁者が置かれている特別の事情等にかんがみ、人道的精神に基づき、これらの者及びその遺族に特別給付金を支給するための措置を講ずる必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。

本案施行に要する経費
本案施行に要する経費としては、約2億5千万円の見込みである。

     

<ポイント解説>
「特定連合国裁判被拘禁者特別給付金支給法案」
(2016.11.10. 韓国人元BC級戦犯・「同進会」を応援する会作成)

①「特定連合国裁判被拘禁者」とは(第1・2条)
 第2次大戦後、連合国の軍事裁判で裁かれ、「戦犯」として拘禁・受刑させられた朝鮮・台湾出身者のこと。主に、捕虜(俘虜)収容所で捕虜監視業務に従事し、戦後は「日本人」として裁かれ、「BC級戦犯」として戦争犯罪の責任を問われた。現在の国籍は韓国・台湾・日本(戦後日本に帰化)で、在日を含む。
 対象者は、対象者(遺族を含む)は朝鮮人BC級戦犯者148人、台湾173人、合計321人。

②「特別給付金」支給の趣旨(第1条)
 「特定連合国裁判被拘禁者が置かれている特別の事情等にかんがみ」と規定。対象者は、戦後「日本人」として戦争犯罪の責任を問われ、処刑されたり、有期刑に処せられ、サンフランシスコ平和条約が発効した後も拘禁された。最も長い人は 1957年(昭和32年)4月まで12年近くも巣鴨刑務所に拘禁された。巣鴨から釈放されても、日本の援護措置から排除され、身寄りのない異国で苦しい生活を余儀なくされた。また、国交がなかった韓国や北朝鮮への帰国も容易ではなく半数近くの者が、日本に暮らすことになる。「日本人」として裁かれながら、「日本国籍」がなくなったという理由で援護から排除されるという不条理な扱いに、善処を求めて政府に繰り返し訴えてきた。こうした日本側の不条理な措置と不作為が、人道的にも問題があったという認識にもとづく措置。

③「特別給付金」支給額は1人260万円、予算額は2億5千円(第7条)
 対象者(遺族を含む)は①のとおり合計321人。申告制のため実際の申請は1/3程度(約100人弱)と見込まれる。

④ 所管は総務大臣・総務省(第3条)
 総務大臣・総務省はこれまでも平和条約国籍離脱者戦没者弔慰金等・戦後強制抑留者特別給付金支給業務などを所管。

⑤ 韓国政府の見解・1965年日韓請求権協定・韓国国内法との関係
 駐日韓国大使館は「韓国政府としては、この問題は1945年8月15日以降に起きた問題で、1965年日韓請求権協定の対象外。明らかな差別待遇であるので、一貫して日本側の人権・人道上の配慮を求める」との立場。
 韓国国内では1972年の「対日民間請求権補償法」によって、元日本軍人・軍属で死亡した者に1人30万ウォン(約2万円、総数9536人)を支給したが、対象は終戦時以前の死亡者で、対象外。また、2007年制定の「太平洋戦争前後国外強制動員犠牲者支援法」によって、強制動員被害者と認定された処刑者遺族4人に2000万ウォン(約160万円)の「慰労金」が支給されているが、これは、韓国政府による遺族支援金で、日本国の措置を代替するものではない。

⑥ 裁判所の判断(付言判決): 3審とも被害事実を認め、立法解決促す判断
東京地方裁判所(1991年11月12日提訴/1996年9月9日請求棄却判決)
【判決文から】
「 わが国の軍人軍属及びその遺族に対する援護措置に相当する措置を講じることが望ましいことは言うまでもない。しかし、国の立法政策に属する問題。」

東京高等裁判所(1996年9月19日控訴/1998年7月13日控訴棄却判決)
【判決文から】
「 ・・・国際的、政治的その他の諸事情によるやむを得ない面があったとはいえ、戦犯者控訴人らについてみれば、ほぼ同様にあった日本人、更には台湾住民と比較しても、著しい不利益を受けていることは否定できない。
 このような状況の下で、戦犯者控訴人らが不平等な取り扱いを受けていると感じることは、理由のないことではないし、その心情も理解し得ないものではない。
 この問題について何らの立法措置が講じられていないことが立法府の裁量の範囲を逸脱しているとまではいえないとしても、適切な立法措置がとられるのが望ましいことは、明らかである。第二次大戦が終わり、戦犯控訴人らが戦犯者とされ、戦争裁判を受けてから既に50年余の歳月が経過し、戦犯者控訴人らはいずれも高齢となり、当審係属中にも、そのうちの2人が死亡している。国政関与者において、この問題の早期解決を図るため適切な立法措置を講じることが期待される。」

最高裁判所(1998年7月24日上告/1999年12月20日上告棄却判決廷)
【判決文から】
「 上告人は、いずれも我が国の統治下にあった朝鮮の出身者であり、昭和17年ころ、半ば強制的に俘虜監視員に応募させられ、・・・有無期及び極刑に処せられ、深刻かつ甚大な犠牲ないし損害を被った。
 上告人らが被った犠牲ないしは被害の深刻さにかんがみると、これに対する補償を可能とする立法措置が講じられていないことについて不満を抱く上告人らの心情は理解し得ないではないが、このような犠牲ないし損害について立法を待たずに戦争遂行主体であった国に対して国家補償を請求できるという条理はいまたに存在しない。立法府の裁量的判断にゆだねられたものと解するのが相当である。」

⑦ 他の戦後補償との違い:平和条約11条で生じた不条理に対する措置
 今回の措置は、サンフランシスコ平和条約11条(日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。)によって1952年4月28日条約発効以降新らたに生まれた不条理(特別な労苦)に対して人道的立場から措置を講ずるものであり、戦時中に起きた事案に対する戦後処理の問題とは異なる。1956年に東京で仮釈放された李鶴来会長らが、その後60年間も日本で暮らし、現在にいたるとは、釈放当時予想もされていなかった。



【特定連合国裁判被拘禁者問題の経過】
1941年12月 太平洋戦争開始

1942年5月 陸軍省「俘虜処理要領」発表、朝鮮・台湾人俘虜収容所監視員募集
6~8月 朝鮮人軍属3,224人を陸軍釜山西面臨時軍属教育隊で訓練後、3,016人をタイ、マレー、ジャワ、スマトラなど南方各地の俘虜収容所に配属(軍用道路・飛行場・鉄道建設など捕虜使役)

1945年8月 終戦 9月 戦犯容疑者逮捕 1946年 戦犯裁判・判決続く

1948年8月 大韓民国樹立 9月 朝鮮民主主義人民共和国樹立

1950年1月 オランダ関係収監者を現地刑務所から巣鴨プリズンに移管
6月 朝鮮戦争勃発 (~1953年7月朝鮮戦争休戦協定成立)

1951年8月 イギリス関係収監者を現地刑務所から巣鴨プリズンに移管
9月 サンフランシスコ平和条約調印(在日朝鮮人は条約発効時に日本国籍喪失)

1952年2月 日韓会談(第29次在日韓国人法的地位分科委員会)で日本側が、韓国人戦犯者問題は議題にせず「別途研究する」と答弁。
3月 会員約70名で「韓人会」結成
4月 サンフランシスコ平和条約発効(朝鮮人「日本国籍離脱」との政府通達)

1953年8月 「恩給法」改正公布、軍人恩給復活(朝鮮・台湾人は対象外)

1955年4月 会員約70名で「韓国出身戦犯者・同進会」設立、基本的人権・生活権確保のため日本政府と交渉、鳩山一郎首相に要請書提出

1956年10月 李鶴来会長釈放。オランダ裁判受刑者1人が所沢市で西武線に飛び込み自殺

1957年4月 朝鮮人戦犯最後の釈放(全収容者の釈放、巣鴨プリズン解散は翌58年5月)

1965年6月 日韓会談妥結・日韓基本条約・請求権協定調印(以降、日本政府は「一括解決済み」を主張)
9月 韓国大使館、「(BC級戦犯問題は)今般の請求権の対象になっていない」と表明

1966年10月 韓国外務部長官「日本に適切な措置を講じるよう要望することを駐日大使に指示」と回答

1991年11月 東京地裁に謝罪と補償を求めて提訴(原告7名)

1999年12月 最高裁判決・請求棄却

2006年6月 韓国政府が公式に被害認定、駐日大使から認定証受領。国内的名誉回復実現

2008年5月 衆議院に「特定連合国裁判被拘禁者等に対する特別給付金の支給に関する法律案」提出(民主党提出・衆議院総務委員会で継続審議⇒2009年7月廃案に)

2016年10月 日韓議員連盟(額賀福志郎会長)が超党派で議員立法に取り組むことを決定
11月 日韓・韓日議連合同総会共同声明でも韓国人元BC級戦犯問題早期解決に言及

*1955~2013年 鳩山一郎首相から安倍晋三首相まで歴代29人の首相に要望書提出





   
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