韓国・朝鮮人元BC級戦犯者に補償を

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チャンギ刑務所で死刑執行された趙文相(チョウムンサン)さんの「遺書」と「手記」です。

chomunsan



趙文相
朝鮮。開城市出身。陸軍軍属。昭和22年2月25日チャンギーにて刑死。(日本名「平原守矩」)

「遺書」

 阿部中尉宛
 阿部さん,色々有難う。満ち足りた気持で行きます。
 「ガチャン」と共に開けるであらう豁然としたものを信じて私は行くのです。晩餐の後から台に昇るまでの迷ひを少し書いてみましたから御笑覧の程を。

 先ずPの原田閣下におあづけしますから末長く幸せに強く明るく生きて下さい。
     二十五日午前六時三十分

 若松大尉宛
 しょげたら駄目ですよ。待ってます。元気でついて来て下さい。「余り大したもんぢゃないですよ」

 体は腐っても必ず魂魄は!何とか在りつづけます。
 故国日本,朝鮮のいやさかを祈りつつ行ったと言ってやって下さい。 二十五日

  胸中何の不安あるなし。
  初めて識る大いなる楽観は大いなる悲観に一致するを  蓋し真実なり。悠々たる大自然に帰するのみ。

   壁 書

  よき哉 人生
  吾事 了れり  



「手記」

神様は人間を作り給うとき,世界を作り給うとき,彼の世界を存在せしむるために,死への恐怖を与えられた。だから俺は死を避けざるを得なかった。しかし絶対に避け得られぬ死は神の意志だ。神によって作られ,神によって動かされ,死を怖れるわが身であれば,神が死ねといはれれば死ぬよりほかはない。すべて神の意のままにわれわれは死んで行く。死んでからのあの世があるやらないやら,しかし生きている間はいつまでもこの世のものだ。だからいくら考えたってあの世のことは知るはずがない。明日の九時三十分になればわかるだろう。有るとか無いとかいったって徒労だ。人間にしてこれを知ったものは未だかって無い。しかし明日解るという俺の考えのそこには,有る,乃至はあるだろうという意識があるらしい。少なくとも何かありそうだ。しかし何があるかは知らない。いくら考えたって堂々めぐりだ。たとへ何も無いとしたって,またそれほど清々しいことは無いだろう。どっちみち心配はない。行ってみるまでさ。

晩さん会=星空の下でやれないのが残念だ。雨は相変わらず降ってゐる。雨が降ってゐるから中に入れられたのに,其の雨が僕らの死を悼む涙雨だと考へる。まず煙草を一服。大っぴらに吸うケムリの味はまた格別だ。

ミルクを注いで「一緒に行きませう」と乾杯,田中和尚さんに先ず箸をつけてもらって一同最後の御馳走にとっつく。ニ、三分間思ひ思ひのまま口に入れる。「これが酒だろう」という声も聞える。「これも酒だと思って飲もうよ」と賛成の声もある。

 梅干の下に赤唐辛子を見つける。「トンガラシダ」という声に朝鮮人の金子はいはずもがな,日本人もコリヤンも皆飛びつく。「あっ,からい」「唐辛子はからいにきまっとるさ」「ハハハハ」「フフフフ」英人の‘ノッポ中尉’と‘ヤスメ中尉’がノホホンとして立って見てゐる。「あいつは昨夜,俺の毛布を取り上げたんで少し変な顔をしてるな」と星大尉,平原インタープレターがヤスメ注意に説明して曰く、

“I slept without blankets lst night, Four cigarettes founded by a tall lieut.in my cell"

ヤスメ中尉が手を振った。「あのね」と馬杉中佐,「会津磐梯山といへば東山温泉で芸者に歌ってもらったっけ,その女は桜子といって忘れんでゐるが....」「桜子とは良いね」と小見曹長「その東山温泉のね」と蜂須賀少佐のおのろけ、「中尉のときでしたよ、そこの芸者屋に下宿してゐましたがね,何しろ血気盛りの頃だったんで,前から女将に釘はさされていたものの,ついちょっとね」「とうとうぼろが出たぞ」誰かの若い声「いや,のろけも今のうちですよ,思ふ存分のろけさしてあげなさい」と田中さんがいふ。

「朝鮮の歌はいいね」と小見曹長,平原インタープレター喋り出す。
「いや民族性のせいでね。すべてこの哀調があるんでしょう。愛国歌がありますが,これもやはり哀調が主なものになってゐますね」
「それだけロマンテイックですね」
「いやロマンテイックといふには余りに悲哀が強くってね」
「そうね」
金子の‘アリラン’がはじまる。
惻々とした哀調が皆の胸をつく。

「今何時か」
「五時半ですよ」
「あと一時間半か」
「いや充分ですよ。いつまででも同じですよ」
「じゃ一つ四畳半と行きましょう」と信沢さんの端唄,蜂さんの大津絵,小見さんの都々逸,馬杉参謀の青柳など‘四畳半の流行歌はどうです」と平原の幌馬車,「喋る方が得手なんだが」といいわけみたいなことをいふ。
 じゃ一つにぎやかなところと,星さんの会津磐梯山,蜂さんの新磯節,小見さんの佐渡おけさ,武本君(金沢振)の「トラジの花よ」等々,おだやかな中に興は進む。

いきなり‘Dブロック’の方から「元気で行けよ」の声が聞えた。「金康か,お前の裁判はどうだ,俺は元気で行くから」と、長らくの間ビスケットを送っていた武本君は、あるかなきかの溜息をもらしつつ席に帰る。

コリヤン四名が愛国歌を歌ってから暫くの間追憶談,お得意の歌等と、時は容赦なく流れる。
「オイ何時だ」
「エー,十五分前です」と田中さんが懐中時計をのぞく。
平原「あの,もうだいたい時間も何ですから一つ皆で合唱をどうですか」
「うん何がいいかね」
馬杉中佐「どうです,暁に祈るは」
「それがいい」「それがいい」...つづいて日の丸行進曲。
ほとんど七時になった時,白人の sergeant 達がやって来た。
「じゃ海ゆかばと国歌を奉唱致しませう」と、皆は端座瞑目して激しき感動をかみしめつつ海ゆかばを唱ふ。
ともすればにじみ出そうなものは決して悲しみではない。悔恨でもない。あの大嵐に命をさらして来たもののみ知るあの感激だ。
「あの世ではまさか朝鮮人とか,日本人とかいふ区別はないでしょうね」と金子の詠歎声。浮世のはかなき時間に何故相反し,相憎まねばならないのだろう。日本人も朝鮮人もないものだ。皆東洋人じゃないか。いや西洋人だって同じだ。ああ明日は朗らかに行こう。
 監房の中から,残る人達の蛍の光が聞えてくる。

こんな平らな気持になれるものだろうか,ほんとにわれながら不思議なくらいだ。小学校の時明日遠足に行くといふ晩だってもうちょっとは興奮したものだ。今まで行った人々を送った時に感じた,あのじめじめした陰鬱な気持とくらべて何と清々しい心境であろう。諦めとかいふそんな大したものでもない。もちろんうれしいとか,たのしいとかいったものでもない。何といっていいやら,ちょっと近くの町に出かける気安さとこんな気持になった自分がいとしいような気持だ。
平原「小見さんもう寝るの」
小見「うん、ねむたいねー」
平原「この世で最後の晩じゃないか,寝るのが惜しかない?」
金子「皆も俺と同じ気持なんだな」
小見「そうさ、みんな同じ状況で同じく死ぬもん,みんな同じさ。今だから本当のことをいふがね。この前,平松さん達が行った時、部屋が隣だったもんだから電燈の穴から顔を出して『どんなかね』と聞いたら,『ちょうど一杯ひっかけたみたいだよ』と本当に一杯飲んだような真赤な顔色で....,しかし声は元気だったよ」
金子「そういふもんかな,僕らもそうなるかな」
平原「そりゃしようがないさ、蛇が殺される時体をくねらすのと同じことじゃないだろうか。しかし明日の朝いよいよ袋をかぶせられるときだって気持だけは朗らかにゆけそうだよ,ねえ?」
小見・金子「そうだ,何ともないようだよ」

この時鐘の音一つゴーン、
小見「また三十分減った!」
平原「いよいよ近づくねえ」

何とやすやすと自分の気持が口をついて出るやら,人間ほんとに正直になれるのはこの時に至ってかららしい。親父に書いた遺書だってほんとをいへば嘘が大分混っていた。この粗雑な手記こそほんとの遺書になろう。

やっぱり死にたくない。碁を打ったのが遺憾だった。碁を打ったすぐ後はふだんのような気持になってしまう。碁を打っている間は夢中だったのが止めた瞬間は以前の死ぬと決まらん間の気持だ....いやそれは惰性だ,習慣の片鱗だ。隣の部屋(一番列車)からいびきが聞えてくる。俺も心が再び安らぐ。

夜はいよいよ更けて行く,獄外の車輪がアスファルトをすべる音もよく聞えて来る。寝れないのじゃない。眠たくてしようがない。小見さんも金子君も寝ついてしまった。やはり神経は,肉体は疲れたらしい。しかし今晩は眠るまい。

絞首台に上るまでの気持を書き残さねば.....最後だもの。
犬の吠え声,遠雷,凡て同じく感じられる。何処からか蛙の声も聞えて来る。

金子,衛兵にいふ。「オイ,インデイアン,シガレット一つくれよ....なに?オフィサーか,オフィサー・ノー・カムだよ。何?サージャント?そうか,うん,わかるよ。監視するものは可哀そうだよ。うん、ヨシヨシOKだ。アイ・アンダスタンドだ、ユー・べり・グッドだ,そうとも,そうとも,もういいよ,ウン,グッド・ナイト」。

絶望の深淵には苦痛はない。そもそも希望は常に苦痛と不安を伴う。この俗世のすべてのことに絶望した時はじめて人間は安心する。決して淋しくない。恐しくもない。ただ空ろだ,空虚な中に涼風が清々しく吹く。決してじめじめした陰鬱なものではない。理性も五感も至って鮮明だ。排泄も順調だ。死んでも余り変りそうにない。死んで生まれ変わるとか,天国に行くとかいふものではなく長い夢を見て起きたように、このままのつづきみたいではないだろうか。

「もうこんな世に生きても仕様がない」,「こんな世に未練はない」等々本当の気持ではなかった。矢張りこの世がなつかしい。もちろんこれじゃ駄目かもしれない。しかしたとへ霊魂でもこの世の何処かに漂ひ度い。それが出来なければ誰かの思ひ出の中にでも残りたい。「霊はすでに霊界に行っとる」,嘘だ,未だに人間だ,死ぬまでは人間だ,ちゃんと人間らしい欲が残っているもの。京城北郊,北漢山頂、白雲台の岸壁に刻み残した俺の名前は未だ残ってゐるだろうか。

あわただしい一生だった。二十六年間ほとんど夢の間に過ぎた。石火光中とはよくもいい表したものだ。この短い一生の間自分は何をしてゐたか全く自分を忘れてゐた。猿真似と虚妄,何故もう少しく生きなかったか。たとへ愚かでも不幸でも自分のものといった生活をしてゐたらよかったものを,知識がなんだ,思想がなんだ,少なくとも自分のそれは殆ど他人からの借物だった。しかもそれを自分のものとばかり思ってゐたとは何と哀れなる哉。

友よ,弟よ,己の智恵で己の思想をもたれよ。今自分は自分の死を前にして自分のものの殆どないのにあきれてゐる。もう一ぺん古里のことを考えて見たがまとまらない。いや何かしら肉親との絆がだんだん解かれて行くみたいだ。金子も同じらしい。「妻がたいして気にかからん」といってゐる。

小見さんだけは目をつぶってゐる。ほんとに寝てゐるやら又はやはり何か考えてゐるのか。眠たくて目がふさがれるようだがもう少しの辛抱だ。

今さき二時が鳴った,七時間経てば永遠の休息に入るのだ。早く朝になったら、といふ気持とまた時鐘の間を早いなあと思ふ心が乱れ合ってゐる。

朝だ昨夜はいつの間にやら寝込んでしまった。眠さに負けた。いよいよ四時間だ。しかし心は動かぬ。気の持ちよう一つで死すら何でもない。ほんとにさっぱりした。非常にたやすい気持で行く。3人共昨夜は夢を見ずによく寝た。六時が過ぎた。一番列車のマンデー。皆おだやかな声音だ。

何だろう。何だかさっぱりわからん。も少し感激みたいなものがありそうだが.....。外で「元気で行けよ」と悲壮な激励の叫びがある。他人のように思はれる。こうした気持を持って今までの人々が行ったのかな。皆さんに済まないようだが、それ程悲壮な気持になれない。

死んだら頚がどれだけ伸びるじゃろう。大したことはないだろうな。ぶらさげてそれから外したらまた元にかへらんかな。ダメだろう。弾丸がないだろうか。不思議だ,こんなことが何の暗い感じなしにいへるとは,われながらわからん。いよいよチャンギーともさらばだ。インデイアンの大尉が Are you happy? と聞く。 yes,satified と答える。昨夕の唐辛子のせいだろう。盛んに屁が出る。馬杉中佐の声が穴を通ってくる。「金子、からだが水に濡れるのが心配じゃないか。」「いいや、こんなの俺のじゃないもん。俺は別の処に行くし,この身体はこの世にやっちまうんだもの。そんなの問題じゃないよ。」「よーしハハハ...」「ハハ....」

隣の部屋でお経が始まった。金子が「あのお経はどういふことをいってるのかい,救って下さいといってるのかな。」「うん,お前は仏さまがきっと救って下さるといはれるのだ。」関口さん,田中さんに観音経を上げて戴く。腰の中がチリチリとした。五臓六腑が固まってしまうような気持がする。頭が一人でにお経のリズムに従って行く。「平原さんは全く朗らかな顔ですよ」と関口さんがいってくれる。もっと安心した心の片隅で快心の笑が起る。もう後は何もない。向うで殺してくれるばかりだ。わがこと終れりだ。流石にじっとしてゐたくない。狭い房の中をあっちこっちとぶらつく。雨がまだ降っている。残る人達の“蛍の光”有りがたい,有りがたい。

「寒いなあ―」「まあがまんや」「春雨じゃ濡れて行こう」
あくびが出る。体の反応だ。せのびを数回やる。「早くはじまらんか...」皮膚の色が少しばかり暗くなってきたようだ。ずいぶん真面目な気持になる。矢張り少し気がめいる。しかししょうがない。人間だもの。しかし、ただ信じて行こう。信ずるよう努めよう。神様すべてを恕して下さい。

人生最大の苦しみだ。この部屋を出るまでだ,それももう八分は済んだ。あと二分だ。俺よ!がんばれ。

九時の号鐘。のびやかにゆったりと鐘が鳴る。
父よ母よ有りがとうございました。姉よ弟よ幸あれかし。

 一番列車出発!
 偉い,偉い,俺もまねる。あと二,三分だ。俺もあんな万歳を叫ぼうよ。
 来た。いよいよらしい。
 これでこの記を閉づ。
 この世よ幸あれ。

   
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