韓国・朝鮮人元BC級戦犯者に補償を

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3.出所後の状況

 東京・巣鴨の戦犯刑務所から釈放された韓国・朝鮮人戦犯者たちは、身寄りも生活基盤もない日本社会に身体一つで放り出された。日本政府は彼らがすでに日本国籍を喪失していることを理由に、生活上の援護をおこなわず、出所後の生活は困難を極めた。実際、仲間のうち二人は、九死に一生を得て釈放されたにもかかわらず、その後の生活苦と厭世観のため、自らの手で生涯を閉じるまでに追い込まれてしまっている。
 また、先に出所した者の苦労を聞き知っていた在監者の中には、政府に住宅や就職の斡旋、生業資金の貸し付けなどを要求し、これを拒否する政府に抗議して釈放拒否のハンストを決行する者さえいた。

 祖国に残された遺族や家族は、働き手を失ったことにより生活苦を強いられたばかりか、周囲からは「対日協力者」の遺族・家族との烙印を押されて、差別と白眼視の対象にされた。遺族や家族の中には、このことが原因となって病気になったり、あるいは自殺に追い込まれたりした者もいる。
 また、戦犯となったショックで2名が精神病となり、入院を続けていたが、彼らは祖国に帰ることも、一日も退院することもできないまま、亡くなっている。


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↑巣鴨刑務所から仮釈放された朝鮮人戦犯(後ろに映っているのが刑務所)。服と靴は借り物。一見立派そうなカバンは段ボール製だ。身体ひとつで見知らぬ日本の地に放り出されその日から、生活苦・飢えとの新たな闘いが始まった。



   
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