韓国・朝鮮人元BC級戦犯者に補償を

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韓国・朝鮮人元BC級戦犯が受けた被害および問題点


・植民地下の強制動員
 植民地から強制的に動員させられ、2年間の契約期間を守らず、1945年の終戦まで捕虜監視を続けさせられた。

・戦争責任の肩代わり
 非道な捕虜政策を立案・遂行したのは軍指導部で、末端の最前線に配置されたのが朝鮮・台湾人捕虜監視員だった。犠牲をいとわない不法な捕虜政策を推進した責任者より現場の駒に過ぎない他民族の監視員が、多く恨みを買い、肩代わりして責任を果たすことが求められた。

・戦後の援護政策からの排除と差別
 恩給法・援護法など戦後の援護諸法は、国籍条項を設け、韓国・朝鮮、台湾人を排除し、差別してきた。その結果故郷に帰れず、生活苦と失望・不安から精神病を病んだり、自殺する者まで出た。

・遺族・家族の受けた不利益・被害
 経済的な労苦以上に、「戦犯」「対日協力者」として受けた民族的不名誉、精神的被害は深刻で甚大。周囲から白眼視され、夫が戦犯になったショックで投身自殺した妻もいた。故国・故郷に帰れない者が多い。東京目黒区の祐天寺に保管されたままの遺骨も5柱あり、遺骨送還も完了していない。

・半世紀以上の不作為 
 行政・司法・立法の三権に訴え続けてきたが、何らの進展もない。とくに歴代首相・大臣・次官らが繰り返し「善処」を約束しながら、一度も果たされていない。1965年日韓請求権協定以降、日本政府は「一括決着済み」を主張し、韓国政府は「対象外」と言明している。この外交的空白を両国政府とも埋めようと努力せず、人権救済を放棄したまま。裁判所の立法付言にも立法府が応えていない。歴史的・政治的不作為は明らか。

・「戦犯」としての被害
 「対日協力者」「戦犯」としての民族的な負い目、元捕虜からは「極悪非道な人間」と指弾・誤解され、尊厳を奪われ否定された苦悩(刑死者の無念な思いを晴らし、名誉回復したい。歴史的な背景と戦犯問題への理解を切望)
 日本からは、戦争犯罪の責任を肩代わりさせられ、後始末も陳謝もなく放り出され、祖国からは誤解されている寂しさと孤立感(諸事情により祖国に帰国もできず、強いられた異国での孤独な生活。釈放後、2人が生活苦から自殺に追いやられ、精神病を発症し、1日も釈放されることなく隔離病棟で78歳の生涯を閉じた仲間もいる)

 

   
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